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Saturday, May 30, 2015

【連載】「難民偽装問題」をめぐる読売報道の問題点(第2回)――だれが技能実習制度を形骸化させているのか?

「難民偽装問題」をめぐる読売報道の問題点(第1回)――偽装された関心としての「難民保護」のつづきです。)


1.はじめに

  前回記事では、難民認定制度のいわゆる「偽装申請」問題に関する読売新聞による一連の報道が、一面的かつ支離滅裂であり、また、国の政策がもたらしている問題の責任を「偽装難民」(と読売が決めつける外国人)に一方的に転嫁するものであることを、指摘しました。

「一面的」であるというのは、読売報道が、日本政府の難民保護の実情・実績についての検証をまったく欠いたまま、あきらかに入管当局のリークと思われる情報に無批判にもとづき、その意向に忠実にそった報道・主張をおこなっている点です。

  同時にこれが「支離滅裂」としか評しようがなかったのは、読売報道が「救済されるべき難民の保護の遅れ」を危惧しているかのようにいっぽうでは言いながら、実際問題として難民認定のわくをますますせばめ、また、難民申請者の生活をいっそう困窮化させることにつながる制度変更をすすめようとする論調をとっていることについてです。難民認定制度・難民保護政策をいま以上に骨抜きにするような制度変更を主張しておきながら、その口実に「救済されるべき難民の保護」をかかげるのですから、その支離滅裂さはほとんど悪ふざけにしかみえないほどです。

  毎年の難民認定数のきわだった少なさなどにあらわれているように、日本には難民保護政策の不在と言ってもよいような現状があります。よく知られているこうした現状を、読売は意図的にふれずに無視しているのか、あるいは、取材をおこたったために知らないのか、いずれかです。いずれにしても、一連の記事を執筆した読売取材陣に、「救済されるべき難民の保護」についての真剣な関心などないのはあきらかです。読売は、自分たちが大事だと思ってもいない難民保護ということを、ご都合主義的にみずからの主張の大義名分にかかげてみせるわけです。不誠実きわまる姿勢だと思います。報道人としての仕事にすこしはまじめに取り組んでほしいものです。




2.技能実習制度を「形骸化」させているのは「偽装難民」なのか?

  今回は、読売の「偽装難民」報道が、日本の政策的・制度的な矛盾を、外国人に一方的に責任転嫁したものであることを、その技能実習制度についての記述にみていきます。(以下、[a]~[s]の記号は、前回記事につけた一連の読売報道の記事一覧にもとづいています)。

「窮地の難民認定制度  改正で申請急増  就労目的で悪用か」との見出しのつけられた2月8日の[h]記事は、難民認定制度と技能実習制度の両制度をゆるがすものとして「偽装申請」を問題にしたものです。

  日本の難民認定制度が外国人に悪用されている偽装申請問題は、制度の大きなゆがみを浮かび上がらせた。外国人技能実習生による偽装まで横行する現状を前に、法務省は制度の見直しを迫られている。
(中略)
  申請者の急増は審査期間の長期化を招いており、昨年の統計で平均6.3か月。異議申し立てすれば、さらに平均2年5か月かかる。就労目的の外国人にとっては都合のいい状況だが、認定基準を満たす難民の救済に遅れが出ている。
  外国人技能実習制度で来日した実習生が逃亡し、難民申請したケースも相次ぎ判明。実習生による申請は10年の45件から、14年(1~11月)は391件に増えた。難民認定制度のゆがみは、実習制度の形骸化にもつながりかねない。

  こうした文脈で、難民認定制度の「悪用」、あるいは技能実習制度の「形骸化」といった言葉が出てくることは、これらの制度の運用実態を多少なりとも知っている者からすると、強い違和感をおぼえずにはいられません。

  このうち、難民認定制度については、前回記事でのべたとおりです。読売は「難民認定制度のゆがみ」などと言って、あたかも「偽装申請」によってはじめてこれがゆがめられつつあるかのように書いています。しかし、読売の言うところの「ゆがみ」が生じる以前の難民認定制度がどう機能していたと言うのでしょうか。読売はこれについていっさい沈黙をきめこんでいます。2013年の1年間に難民認定されたのはわずか6人であったといった現実をふまえるとき、「認定基準を満たす難民の救済に遅れが出ている」などという文言は、たちのわるい冗談にしかみえません。

「実習制度の形骸化にもつながりかねない」についても同様です。技能実習制度は、日本政府自身こそがその形骸化を率先してすすめてきた経緯があり、いまさら「形骸化」しうるほどの実質など残っていません。

厚生労働省は、技能実習制度の「目的」をつぎのように説明しています(技能実習制度 |厚生労働省)。

  技能実習制度は、我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的としております。

  こうした公式のタテマエとはうらはらに、技能実習制度が農業・漁業・建設業・製造業などの分野において人手不足をおぎなう手段としてもちいられてきた実態は、よく知られています。さらに、各紙報道によると、政府は現在、被災地の復興や東京オリンピック関連施設の建設に必要とされる労働者や、社会の高齢化がすすみ人手不足の深刻な介護労働者を、技能実習制度をつかって導入する方針であると伝えられています。政府はいまや、人手不足対策として技能実習制度を利用することを隠そうとすらしていません。本来の趣旨である開発途上国への技術等の移転という目的からは完全に逸脱した制度運用を公然と打ち出しているわけです。技能実習制度を「形骸化」させているというのなら、まずは政府によるこのような脱法的とも言うべき政策をこそ批判すべきでしょう。

  日本政府は、外国人労働者の受け入れを「専門的な知識,技術,技能を有する外国人」に限定し、公式には、いわゆる非熟練労働者のそれについては認めてきませんでした。しかし、次回記事でみるように、政府は80年代のバブル期以来、公式には否定している非熟練労働者の導入を、脱法的な手法をもちいてくりかえしおこなってきました。

  技能実習制度もまた、そうした脱法的手段のひとつとして理解すべきものです。実際のところ、途上国への技術移転といった制度本来の趣旨など、だれひとりとして真に受ける者のいないような名目でしかありません。実態としては政・財・官ぐるみでの非公式的な外国人労働者導入の手段として利用されてきたのが技能実習制度なのです。

  もっとも、読売の取材陣は、こうした実態を認識していないというわけではありません。

  一連の「難民偽装」をめぐる記事のうち、[i]~[m]の5回の連載においては、いわゆる「偽装申請」の背景に、低賃金の労働力を求める企業やそのニーズにこたえる人材派遣会社の存在を指摘し、「国は、外国人労働者を正面から受け入れる仕組みを整えてほしい」との人材派遣会社社長の声を紹介しています([k]記事)。また、「外国人労働者は急増する一方で、労働環境を守る仕組みは追いついていない。特に、(略)実習生を巡る状況は深刻だ」と指摘したうえで、滝沢三郎氏のつぎのコメントを紹介してもいます。「日本は表向き、『移民や単純労働者は入れない』と言いながら、実習生などの形で低賃金の労働者を確保してきた。このような『偽装政策』が続く限り、実習制度や難民認定制度の乱用は避けられない」([l]記事)。

  こういった実態を認識しているならば、技能実習制度は、滝沢氏が「偽装政策」と呼ぶ日本の政策によってすでに「乱用」されている、と言うほかありません(注1)。ところが、読売は一連の報道で、制度が本来の趣旨から逸脱している責任を、あくまでも外国人の「偽装申請」者の側に一方的に転嫁する論調に執着しています。読売の議論は、外国人労働力導入のありかたについて、従来の制度・政策を批判的に見直そうという方向にはすすみません。かわりに、難民審査のプロセスのほうを変えようという話に、それも、入管が難民申請を「速やかに退け」て退去強制手続きに入ることを容易にするような方向へとこれを改変しようという話に、論点がすりかえられるのです。

  読売がやっているのは、あきらかに政府が主犯として「形骸化」させている制度について、その「形骸化」の責任をでたらめに外国人に押しつけようというものです。しかも、政策の矛盾について読売は知らないわけではないわけですから、外国人を標的にした差別煽動を意図的におこなっているということになります。




3.現代の奴隷制としての技能実習制度

  いわゆる「偽装申請」問題に関して、読売の報道姿勢は奇妙なものです。読売は「難民認定制度のゆがみ」と言い、また、「実習制度の形骸化」と言います。いわば既存の制度がゆらぐということについては、関心をよせているようにもみえなくはありません。しかしそのいっぽうで、既存の制度のなかで外国人がどのようにあつかわれてきたかということについて、読売の記者の問題意識はきわめて希薄なのです。

  一連の記事の執筆者たちが口先では「救済されるべき難民の保護」などと述べておきながら、実際のところ、難民の保護にはまったく関心をはらっていないという点は、前回記事でみてきたとおりです。かれらは「難民認定制度のゆがみ」とやらを憂慮してみせるくせに、その制度が難民を保護するものとしてどう機能している(あるいは、機能していない)のかという事実には、具体的な関心をいっさい示さないのです。

  結局のところ、読売記事が述べているのは、“難民を保護するための制度が、難民を保護するための制度として機能不全におちいりつつあり、難民が保護されなくなってしまう”というようなことではないのです。読売の執筆者たちにとって、難民保護など、なんの関心もない問題なのですから。かれらが言っていることは、ようするに“制度を悪用する不届きな外国人が気に入らない”というミもフタもない話にすぎません。というのも、前回記事でみたとおり、制度のこれまでの運用実績や現在の実態、「悪用」によって生じている具体的な被害などが、読売報道において検証されることはないのですから。「難民認定制度のゆがみ」などと読売が言うのは、事実による裏づけのない、ご都合主義的なあとづけの理屈にすぎないのです。

  技能実習制度についての読売の記述も同様です。もっともらしく「制度の形骸化」と言いますが、そう言う読売こそ「形骸化」した議論をしています。政府による「実習制度の形骸化」とも言うべき実態を読売は知りながら、あえてこれを問題にしないのですから、読売にとって、制度の本来の趣旨など、これがいかに軽んじられようが、どうでもよい問題なのでしょう。そして、「実習制度の形骸化」について、読売は、政府の責任は不問にふすかわりに、外国人をその“犯人”に仕立て上げて追及することは忘れないのです。読売が気に入らないのは、「実習制度の形骸化」そのものではなく、技能実習生が「逃亡」すること、また「逃亡」した技能実習生が難民申請することなのです。

  さて、この点について、記事にそくして具体的に検証していきます。

  一連の『読売』の記事を読んでおどろかずにいられない点のひとつは、技能実習生が奴隷的な状況に事実上おかれていることを問題にしていないのみならず、これを追認する記述さえいくつもみられることです。

  たとえば、「難民偽装で『賃金3倍』  逃亡後に転職  人手不足  企業も依存」との見出しのつけられた[d]記事。

  途上国の支援を目的とした国の制度で来日した外国人実習生の一部が、高い賃金を求めて難民認定の偽装申請に走っている実態が明らかになった。外国人ブローカーを介した難民の偽装問題。実習先から逃げ出したネパール人たちは、人材派遣会社を通じて工場に「転職」していた。

  なんという悪意にみちた書き方でしょう。「高い賃金を求めて」「転職」したのが、まるでなにか悪いことをしたかのような書きぶりです。

「高い賃金」などの、よりよい待遇を求めて「転職」するのは、通常の労使関係であれば、なんら責められるいわれのない、労働者としてあたりまえの行為であるはずだという点を、まずは確認しておきましょう。

  通常の労使関係においてはたんなる「転職」にすぎないことが、技能実習制度のもとでは、「逃げ出した」「逃亡」ということになってしまうのです。というのも、技能実習制度は、タテマエのうえでは、ここで読売が書いているとおり「途上国の支援を目的とした国の制度」であって、したがって実習生は、お金をかせぐために来たのではなく、技術等をまなびに来たのだということに、名目のうえではなっているからです。入管法上も、実習生は実習先以外で働くと、「資格外活動」とされて摘発の対象になります。

  このように、日本の政府や実習先である企業等は、実際には、実習生を低賃金の労働力として利用しておきながら、他方ではその労働が「実習である」というタテマエを都合よく持ち出すことで、実習生の労働者としての権利を否定し、実習先の職場に縛りつけることが可能になります。技能実習制度とは、通常の労使関係のいわば例外的な領域を作り出し、そこでの事実上の奴隷的拘束を「合法化」する装置といってよいでしょう(注2)

  上に引用した読売の記述は、まさにこのご都合主義的な手法を正確になぞったものです。自分自身がないがしろにしているタテマエを、実習生に対する事実上の奴隷的拘束の現実を正当化する、あるいはこの現実に知らんぷりをするためだけに都合よく持ち出してくる、という恥知らずな手法です。

途上国の支援を目的とした国の制度で来日した外国人実習生の一部が、高い賃金を求めて難民認定の偽装申請に走っている」と読売は言っています。まさにこの制度の趣旨に完全に反する脱法行為を日本は政府主導で推し進めているわけですが、読売はこれについては「途上国の支援を目的とした制度で外国人実習生を来日させた国が、低賃金労働力を求めて偽装政策に走っている」とは書きません。そのかわりに、「外国人実習生の一部」を非難する文脈でのみ、技能実習制度は「途上国の支援を目的とした国の制度」であるというタテマエを、唐突かつ都合よく持ち出すのです。こうして、労働者が「高い賃金を求めて」「転職」したという、それ自体は非難する理由などどこにもない、ありふれた行為が、あたかも重大な悪事ででもあるかのように読者に印象づけられるわけです。

「難民偽装で『賃金3倍』」という見出しもひどいものです。なんの話をしているのかと記事本文を読んでみると、ネパール人女性の「実習先以外で働きたくて難民申請した。実習先でもらえたお金は月5万円。今は3倍に増えて幸せ。借金も返せるようになった」という発言が紹介されています。

  問題意識が完全に転倒しているとしか評しようがありません。記事の見出しにすべきなのは、「賃金3倍」のほうではなく、このネパール人実習生が「実習先でもらえたお金は月5万円」にすぎなかったという事実、また彼女が「逃亡」せずに「実習」を続けていたのでは返せないほどの借金を負っていたという事実(注3)のほうでしょう。月5万円しか賃金を払わない職場から15万円の職場に移ったのが「逃亡」だと非難されるべきだと言うのなら、それは奴隷制度を容認・正当化するにひとしいことです。

  こうした記事の書きぶりには、執筆した記者の、また、情報を記者にリークして記事を書かせている入管官僚の、外国人に対するぬきがたい差別意識がみてとれます。外国人が実質的な奴隷としてあつかわれていても、これをそういう事実としてみることのできない認知のゆがみ、あるいは、相手が外国人ならば労働者としてではなく奴隷に対するようなあつかいをしてもよいのだという価値観。技能実習制度をめぐる読売の記述にあらわれているのは、こうした人種差別的な認識・価値観にほかなりません。




4.「就労目的で悪用」――制度・政策の矛盾を外国人に転嫁するレトリック

  さて、今回最初に引用した[h]記事の見出しを思い出しておきましょう。それは、「窮地の難民認定制度  改正で申請急増  就労目的で悪用か」というものでした。ここには、以下の3つの前提があることを指摘できます。第1に、年間5,000件の難民申請には、「偽装申請」とそうでない申請があり、「偽装申請」した者は難民に該当しないはずだという前提。第2に、「就労目的」とみられる申請は「偽装申請」であるはずだという前提。第3に、「偽装」でない申請者は「就労目的」ではないはずだという前提。

  3つのいずれも、こう単純に言えるようなものではなく、それぞれ批判的に問い直す余地のおおいにある命題です。

  まず、ある人の難民申請が「就労目的」にみえるということが、その人の申請が「偽装」であるということを意味するわけではない、という点を確認しておきます。

  難民弁護団連絡会議が指摘しているとおり、「たとえその者に難民該当性がある場合であっても、問題となっている事象が申請者にとってあまりに日常的過ぎるために本人が気づいていない場合や、本国での迫害を理由として貧困においやられている場合などがあり、結果として、日本にどうして来たのかと問われれば、『働きにきた』という回答になることもあり得ます」。

「就労目的」とみられる申請が「偽装」とはかぎらないし、ましてや「就労目的」とみなされるからといってその申請者が難民に該当しないと言える根拠などないのです。「就労目的」とみられるかどうかということを、「偽装申請」かそうでないかという判断、さらには、難民に該当するかいなかという判断にむすびつけることそのものが、乱暴な議論といえます。難民該当性は、個々の難民申請者がその出身国・出身地域においておかれた状況を、個別にていねいに審査することによってのみ評価できることがらです。そこに、申請が「就労目的」なのかそうでないのかという詮索をさしはさむのは、審査に予断をもちこむことであって、公正な難民認定審査の観点からひかえなければなりません。

  たしかに、難民として認定され庇護される必要を自身で感じていない人が、もっぱら「就労目的」で難民申請をするということがあるならば、それは難民認定制度の趣旨から逸脱した行為であるとは言えるでしょう。しかし、就労という行為そのものは、なんら非難されるようなものではありません。「就労目的」の難民申請によってであれ、就労資格を得たうえでの外国人の就労そのものは合法です。就労資格のない場合であっても、たんにその就労が「違反」であるということにすぎません。「不法就労」は、被害者が存在しないどころか、むしろ、その労働によって社会的な富がうみだされ、また納税によって公共の福祉に寄与するものと言うことさえできます。この点で、不法化された就労は、合法的な就労となんらかわりのない社会的に有益な行為と言えるのではないでしょうか(注4)

  就労という行為そのものには非難すべきまともな根拠などないからこそ、読売は、「就労目的」の「偽装申請」が「難民認定制度のゆがみ」をもたらしつつあるなどという、デタラメかつこじつけの理屈を持ち出しているのでしょう。「難民認定制度のゆがみ」を憂慮しているかのような読売の議論が、真剣なものではまったくなく、また事実を根拠としたものでもないということは、すでにみてきたとおりです。就労をみとめるべきでない(と読売が考える)外国人が「就労している」という事実について、外国人を攻撃するためだけに、読売はご都合主義的に難民保護という観点を持ち出しているにすぎません。

  こうした読売の論調は、外国人労働力の導入・利用をめぐる日本の制度・政策がもたらしている問題の原因を、一方的に外国人労働者の側に転嫁しようとするものです。読売は、「難民偽装で『賃金3倍』」などという悪意にみちた見出しにみられるように、外国人が日本で就労することそのものに否定的なレッテルをはる悪質な印象操作をくり返しています。そのうえで、「就労目的」なる奇怪な用語をひねりだして、もっぱら外国人労働者の側の意思、外国人労働者の受け取っている(と読売が想定する)利益へと、読者の注意をひきつけます。もちろん、かれらが、日本で働こうという意思をもち、またその利益を期待して、日本にやってくるのは事実です。しかし、読売は、もう一方の当事者である、かれらを日本に呼びこみ、利用する側の目的と利益については、まったくふれていないわけではないものの、ほとんどこれを問題にしません。こうして、呼び込んでいる側の責任を問わずにその主体性を消去することで、呼び込まれた側(外国人)への一方的な責任転嫁が容易になるのです。まるで、外国人が、勝手に望んで日本にやってきて、その望みどおりに勝手に利益をえて、その過程で日本の制度を勝手に悪用して形骸化させているかのように。まるであたかも、外国人が日本の法秩序をゆるがせる加害者であり、日本国と日本人はその被害者であるかのような、まったく実態とはさかさまな構図がえがかれるのです。

  読売は、ミャンマー人実習生33人が茨城県内の実習先から1年以内にあいついで「逃亡」した事例について報じ、「実習制度が来日の『手段』として[ミャンマー人実習生に]利用された可能性がある」などと書いています([g]記事)。これは、あべこべな責任転嫁と言うべきです。この記述においては、実習制度が、労働者を来日させる手段として、むしろ日本政府と日本の受け入れ企業等によって利用されているのだという現実は、まるでなかったことにされます。ミャンマー人労働者を呼び込んでいる者たちの目的と利益は消されるいっぽうで、みずからの目的と利害関心にしたがって日本の制度を悪用している外国人技能実習生というイメージが強調されるわけです。

  かくして、日本の国内産業が外国人労働者を必要としており、日本側がこれを導入するために法制度の抜け道を利用している、また抜け道を作り出しているという現実は、読売報道において「外国人が就労目的で法制度を悪用している」というストーリーにすりかえられます。

  では、読売が執拗に追及している難民認定の「偽装申請」問題とは、いったいなんだったのでしょうか。これもまた、外国人労働力を脱法的に導入してきた日本の制度・政策の矛盾がまねいたものにすぎないのです。次回記事ではこの点を、80年代のバブル期以来、日本政府が外国人労働者をどのようにあつかい利用してきたのかという経緯にもふれつつ、みていきます。




《注》

1.読売新聞は、外国人介護職についての「技能実習制度の活用は疑問だ」と題された社説(2月12日付朝刊)において、「技能実習制度は発展途上国の人たちに日本の技術を伝える制度だ」としたうえで、「労働力確保を目的とするのは、制度の趣旨にそぐわない」とのこれ自体は筋のとおった批判をおこなっています。技能実習制度をつかっての介護分野への外国人受け入れを厚生労働省が検討していることを批判したこの社説は、しかし、「介護サービスの質が低下」することを憂慮したものであって、外国人技能実習生の権利や安全がきちんと守られるのかという観点からの批判ではありません。読売が、外国人技能実習制度の運用実態についてこれが制度本来の趣旨から逸脱していることを問題にするのは、もっぱら“外国人受け入れが日本社会・日本人に否定的な影響をおよぼす”可能性を危惧する文脈にかぎられています。労働者の導入を「技能実習」であると偽装する制度・政策のために、技能実習生が「奴隷」と言ってまったく言い過ぎではないような従属的な地位に置かれている事例は、実習生・元実習生をすこし取材すれば、いくつも出てくるはずです。読売の取材者たちがこれに気づいていないわけがないのです。ところが、こうした事実について「制度の趣旨にそぐわない」とのかれらの批判意識は、なぜか眠りこんだように働かなくなってしまうようなのです。


2.技能実習制度について、日本弁護士連合会(日弁連)は、「理念と実態の乖離,受入れ機関を特定された在留資格であることなどによる奴隷的状態にも至りうる支配従属関係といった,外国人研修・技能実習制度の本質的問題点」が制度改正によっては解消できないものであることを指摘し、その廃止を提言しています。
  この日弁連の提言は、実習生の人権擁護の観点から技能実習制度の本質的な欠陥を詳細かつ網羅的に指摘しており、その全文を一読することをおすすめします。


3.渡日時に送り出し機関等から多額の保証金・手数料要求され、これを支払うために農地を担保にするなどして膨大な借金をしてきた技能実習生の事例は多数あります。技能実習制度は、こうした人身取引とも言うべき事案の温床にもなっています。


4.「不法就労」が問題なのは、不法化された就労に従事する外国人労働者にとって、不安定かつ不利な就労をしいられることが多いという点にこそあります。外国人労働者、とりわけ就労資格のない労働者は、その法的な身分ゆえに、賃金が安くおさえられがちであり、また、不当あるいは不法な労働環境、雇用主による違法なハラスメントや暴力をがまんしているケースが多々あります。




Wednesday, May 27, 2015

【連載】「難民偽装問題」をめぐる読売報道の問題点(第1回)――偽装された関心としての「難民保護」


1.はじめに

  2月以来、『読売新聞』紙上において、難民認定審査のいわゆる「偽装申請」を問題とした記事がたてつづけに掲載されております。読売は一連の記事をとおして、「偽装申請」によって「救済されるべき難民」の保護に支障が生じるとしたうえで、難民認定制度の「乱用」を防止する制度改定の必要性を主張しています。

  しかし、読売の報道は、あきらかに入管当局からリークされたと思われる情報に大きく依存したものであり、公平な報道とは言いがたいものです。難民認定制度の改定にむけた読売の議論は、この制度がこれまでどのように運用されてきたのかについての批判的な検証をいっさい欠いたまま、法務大臣や入管幹部の発言をそのままなぞったものになっているのです。

  私たちとしては、法務省のめざす制度改定が、難民認定審査の手続きをますます骨抜きにしかねないものと危惧しており、また、そのような制度改定にむけて報道機関が世論誘導の役割をになおうとしているのを看過できません。

  そういうわけで、読売報道の問題点を指摘し、読売新聞社をはじめとする報道各社に、独立した報道機関としての公平かつ多面的な報道を期待したいと思います。


  最初に、「偽装申請」問題に関して、2月以来に読売新聞に掲載された記事の一覧をあげておきます。

[a]「難民申請 偽装を指南 ネパール人を摘発 就労制度を悪用」(2月4日付朝刊1面)
[b]「『申請 ウソでも受理』難民偽装 摘発の男 100人指南」(2月4日付朝刊社会面)
[c]「実習先を逃亡  難民申請 ブローカー指南  高い収入求め」(2月6日付朝刊1面)
[d]「難民偽装で『賃金3倍』  逃亡後に転職  人手不足  企業も依存」(2月6日付朝刊社会面)
[e]「難民認定『適正化図る』法相、偽装申請問題」(2月6日付夕刊15面)
[f]「ミャンマー33人難民申請  偽装問題  実習先を逃亡後」(2月7日付朝刊1面)
[g]「来日1年 全員逃亡  『東京で稼ぐ』難民申請  ミャンマー実習生 当初から計画か」(2月7日付朝刊社会面)
[h]「窮地の難民認定制度  改正で申請急増  就労目的で悪用か」(2月8日付朝刊3面)
[i]「難民偽装1  複数ブローカー暗躍」(2月11日付朝刊社会面)
[j]「難民偽装2  実習生 生活費2万円  『我慢限界』逃げ出し申請」(2月12日付朝刊社会面)
[k]「難民偽装3  外国人集め裏ビジネス  『派遣すれば3ヶ月500万円』」(2月13日付朝刊社会面)
[l]「難民偽装4  労働力 外国人頼み 「いなければ工場止まる』」(2月14日付朝刊社会面)
[m]「難民偽装5  制度改正 見通し甘く  申請激増『就労制限の検討も』」(2月15日付朝刊社会面)
[n]「難民偽装問題 悪用防ぐ制度見直しが必要だ」(2月22日付朝刊社説)
[o]「難民申請  就労許可厳格に  偽装防止  『一律に資格』見直し」(3月8日付朝刊1面)
[p]「技能実習制度維持に必要  偽装難民防止」(3月8日付朝刊2面)
[q]「難民認定申請  最多5000件  14年、2533件異議申し立て」(3月11日付朝刊2面)
[r]「難民申請『送還逃れ』か  不法滞在者 法改正後4倍 年800件」(3月29日付朝刊1面)
[s]「『帰りたくない』難民申請  不法滞在『送還逃れ』  施設内で手口『説明会』」(3月29日付朝刊社会面)




2.法務大臣・入管当局幹部・読売新聞の一致した見解

  それぞれの記事には、おいおい具体的にふれていきますが、まずは読売が難民認定制度について、どのような問題意識をもっているのか、みておきます。

  入管は現在、基本的にはつぎのような制度運用をとっています。すなわち、正規の在留資格を取得して日本に在留する外国人が、その在留期間内に難民申請を行った場合に、申請から6ヶ月を経過したあとに就労を許可するというものです。読売は、こうした制度運用が「悪用」されているといいます。つまり、「就労目的の外国人」が観光などを理由に在留資格を取得して来日し、難民申請をすることで就労許可を得て就労しているのだと、あるいは技能実習を理由に来日した者が、難民申請して実習先から逃亡し、より良い労働条件の企業に転職しているのだと。

  難民申請者が「就労目的」であることと、その人が難民に該当するのかどうかということは、べつの問題です。「就労目的」であるから、あるいはそうみえるからといって、その申請者が難民に該当しない、また「偽装難民」であるとは言えないのです。この点については、次回くわしく論じることにしてここではおきますが、読売は「就労目的の外国人」の難民申請は「偽装申請」であるときめつける前提にたっています。そのうえで、この「偽装申請」が審査の長期化をもたらし、ひいては「救済されるべき難民の保護の遅れ」([n]記事)をまねくから制度の見直しが必要だと主張するわけです。

  就労目的の外国人が安易に難民申請に流れるのを防ぐ手立ても必要だ。入管当局幹部は「明らかに難民に当たらない申請を速やかに退ける方法に改め、申請者の就労にも制限を設けるしかないだろう」と話す。([l]記事)

  『読売』の一連の報道は、全体としてこの「入管当局幹部」の主張に沿うものになっています。2月6日の[e]記事では、「[就労を目的とする]制度の乱用防止について、法改正も含めた形で検討している」との上川法相の発言を論評ぬきで報じ、さらに2月22日の社説ではこの法相発言と上記「入管当局幹部」の主張に完全に沿ったかたちで、以下のように述べます。

 審査の長期化は、救済されるべき難民の保護の遅れにつながる。看過できない状況だ。上川法相は記者会見で「適正化を図ることが重要だ」と述べ、制度を見直す意向を明らかにした。
  難民調査官などを増員する一方、申請理由が明らかに難民に該当しないケースは、早い段階で審査対象から外すなど、認定審査の効率化を図る必要がある。

  法務大臣、入管当局幹部、および読売新聞社によると、「偽装申請」は「救済されるべき難民の保護の遅れにつながる」から問題である、というわけです。こうした論拠にしたがって、難民審査の効率化と、申請者の就労制限が主張されています。




3.「救済されるべき難民」についての読売の支離滅裂な姿勢

  なるほど、「救済されるべき難民」をすみやかに保護しなければならないとの価値観を、法務大臣・入管幹部・読売新聞社の三者は共有しているかのようです。そのとおりだとすれば、まことに結構なことです。ところが、読売報道はこの点について、まったく一貫しない、つじつまの合わない姿勢をとってもいます。というのも、読売の一連の報道は、「救済されるべき難民の保護」の観点から「偽装申請」を問題視するいっぽうで、従来、日本政府が「救済されるべき難民」についてどのような政策をとってきたのかについて、ひと言もふれていないからです。

  読売記事の執筆者が「救済されるべき難民の保護の遅れ」を憂慮しているのがほんとうならば、つぎの点についての検証は欠かせないはずでしょう。すなわち、「偽装申請」の横行によって、日本の難民政策における「救済されるべき難民の保護」について、従来とのあいだにどのような変化が生じているのか(あるいは、生じつつあるのか)、という点です。「難民の保護」についての従来の実績・実情を多少なりとも参照することなしには、現在それが機能不全におちいりつつあるという評価などくだしようがないはずなのです。ところが、読売は、これまで「救済されるべき難民」がどのようにあつかわれてきたのかについて、まるで無関心であるかのように、言及をさけているのです。

  そもそも、「偽装申請」が取りざたされる以前に、日本の難民政策が「救済されるべき難民の保護」と言うにあたいする内実をそなえたものであったためしがあったでしょうか。

  たとえば、他の難民条約加盟国の多くが例年4~5ケタの難民認定数を出しているなか、日本のそれは2013年が6人、2014年が11人にとどまっています。この数字だけみても、「救済されるべき難民の保護」について、日本がこれまできわめて消極的な取り組みしかしてこなかったことはあきらかです。こうした冷淡ともいえる日本政府の難民保護についての実情はよく知られたことであって、日本の難民政策・制度について取材した経験のある記者が知らないはずがありません。

  昨年12月には、日本政府は、反政府活動家をふくむ多数の庇護希望者に対し、行政訴訟の機会を違法かつ暴力的にうばって一斉に強制送還するということすらおこなっています(【抗議声明】スリランカ・ベトナムへの集団送還について)。日本においては、「救済されるべき難民」と言うべき難民の大多数がそもそも難民と認定されていないのであって、その一部が強制送還されている事実さえあるのです。

「救済されるべき難民」がほとんど救済されていない実態についてはいっさい沈黙をきめこむいっぽうで、救済の「遅れ」をなにやら深刻ぶって憂慮してみせるという読売の報道姿勢は、支離滅裂としか評しようがありません。こうした姿勢は、「救済されるべき難民」に真剣に関心をよせているのだとすると、理解しがたいものです。この点を、以下にもうすこし具体的にみていきます。




4.難民申請者への就労制限

「入管当局幹部」は、読売の記者に対し、申請者の就労の制限と、「明らかに難民に当たらない申請を速やかに退ける」ための審査制度の改定の必要性を語ったとのことです。読売は、この「入管当局幹部」のコメントをそのままなぞるように、一連の報道で難民申請者の一部が合法的に就労を認められている現行の制度運用を問題視し、さらに社論として「認定審査の効率化」を主張しています。しかし、これらについても、「救済されるべき難民の保護」という大義名分を真に受けることはできません。

  まず、申請者の就労の制限について検討してみます。

  読売は、ネパール人ブローカーが、短期滞在ビザや留学ビザで来日した同国人たちに難民認定の「偽装」申請を「指南」していたという事例を取り上げています。また、このブローカーが難民申請を「指南」していたネパール人のなかに技能実習生がふくまれていたことや、実習先から逃亡したネパールやミャンマー出身の技能実習生が難民認定を申請して就労資格を得ている例などをあげています。そのうえで、「人道的配慮 逆手に」との見出しのもと、つぎのように述べます。

  難民認定申請の虚偽申請を指南していたブローカーの存在は、深刻な迫害から外国人を守るための制度を根底から揺るがすものだ。
  日本では1982年に難民認定制度が導入されて以降、続発する民族対立に人道的な対応を行うための改正が重ねられてきた。2004年、来日から原則60日以内としていた申請期限を撤廃し、10年以降は申請の6ヶ月後から就労を認めた。難民と主張する理由などが形式的に記載されていれば、全件審査するのも特徴だ。
  ブローカーの男はこうした配慮を逆手に取り、偽装申請を繰り返して「審査中」の状態を作り出し、合法的な就労を可能にしていた。([b]記事)

  さきにみたような、難民認定制度が「深刻な迫害から外国人を守るための制度」として運用されているとはとうてい言えない現状をふまえるならば、読売の姿勢はやはり非常に奇妙なものです。きわめて少ない難民認定数などの制度運用の実績にはいっさい触れることなく、しかし制度が「根底から揺るが」されることを憂慮してみせるのは、いったいどういうことなのでしょう。日本の難民認定制度に「根底から揺るが」されるほどの立派な「根底」があると言うなら、ぜひともその実績をあげて示してほしいものです。

  生活費の支給等の支援をするのでもなく、たかだか難民申請者の一部に「就労を認めた」ことを、「人道的配慮」と呼んでいるのもおかしな話です。公的な生活支援を受けられている難民申請者は、現状ごくごく一部に限られています。公的支援も家族などによるじゅうぶんな支援も受けられないほとんどの難民申請者は、就労資格のあるなしにかかわらず、就労しなければ生活していけない状況におかれているのです。就労が許可されるのは、読売記事にあるとおり「申請の6ヶ月後から」です。その「6ヶ月後」の就労許可も、難民申請した時点で在留資格をもっていることが要件とされるので、超過滞在であったり不法入国であった人が申請しても就労は許可されません(注)。

  つまり、難民申請者に就労を許可しないのが日本政府のとっている事実上の「原則」であって、一定の要件をみたす一部の申請者に「例外」として就労許可をあたえているにすぎないのです。生活保障が公的になされているわけでもなく、就労しなければ生活できない状態におかれたひとの就労が、言うならば制度的に「非合法化」「違法化」されているわけです。これはあきらかに基本的人権としての生存権が侵害された状態といえます。そうした人権侵害がノーマルとなっている状況において、入管は例外的に一部の申請者に就労を許可しているにすぎないのです。これを「人道的配慮」と呼ぶなら、日常的に他人をなぐっている者が一日だけなぐるのをやめたらそれも「人道的配慮」だ、ということすら言えてしまうでしょう。

  読売の報道は、一部の難民申請者に就労許可を認める「人道的配慮」が「就労目的」の「偽装申請」者に「悪用」されているとして、この制度運用をあらため申請者の就労に制限をもうける方向に世論を誘導しようとするものです。しかし、そこで読売が持ち出している「救済されるべき難民の保護」という大義名分は、言葉どおりに受け取れるようなものではまったくありません。読売は、難民申請者の一部についてその就労を「非合法化」「違法化」しないという現行の制度運用を攻撃しながら、その大義名分が難民保護だと言うのですから、こんな支離滅裂な話はありません。




5.認定審査の効率化

「認定審査の効率化」についても同様のことが言えます。読売はその「効率化」の具体案として、先に引用したように「申請理由が明らかに難民に該当しないケースは、早い段階で審査対象から外す」ことをあげています。

  難民弁護団連絡会議は、この点について「何をもって明らかに根拠のない申請とするかの判断には、明確な基準がなければなりません」として、読売が主張するような制度変更によって、難民該当性のある申請者がますます認定されなくなる危険性を具体的に指摘しています。


  ここで指摘されているように、法律知識をもたない難民申請者がほとんどであること、難民該当性を主張しうる事象に申請者自身が気づいていない場合があることなどをふまえると、「認定審査の効率化」は、難民認定されてしかるべき申請者をますますとりこぼす結果を生じさせかねないと危惧されます。ただでさえ、年間の難民認定数が2けたに達するかどうか、という惨憺たるありさまなのです。これは、国の方針として難民を保護する意思などないのだと理解するよりほかない現状です。

「救済されるべき難民の保護」などと口にするならば、むしろ必要なのは、申請者が自身ではじゅうぶんには立証しえないでいる難民該当性を、個別にていねいに拾い上げることを可能にする方向での審査プロセスの見直しであるはずで、それは「認定審査の効率化」とは正反対のものです。

  また、読売は、申請者の急増によって審査期間が長期化していることを指摘し、その急増の背景に「偽装申請」の横行がある可能性を示唆していますが、日本での難民申請数自体、他のいわゆる先進諸国とくらべて、けっして多いものではありません。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、2013年の主要難民受け入れ国の難民申請数は、ドイツ10万人以上、アメリカ合衆国8万人以上、フランス6万人以上などとなっています(【プレスリリース】先進諸国における難民の庇護申請件数が28%増加)。これに対し、おなじ2013年の日本の難民申請数は3,260人です(平成25年における難民認定者数等について(法務省入国管理局))。翌2014年は大幅増とはいえ、5,000人(平成26年における難民認定者数等について(法務省入国管理局))。

  日本は認定数のみならず、申請数においても、ケタちがいに少ないのです。地理的条件などもろもろの条件がおなじではないので単純な比較はできないものの、日本は、政府の財政規模にみあった申請者数に対応できるような審査体制の拡充において遅れているからこそ、こんにち審査期間の長期化をまねいているとも言えるのです。たかだか5,000人という年間申請者数で「難民認定制度のゆらぎ」などと大さわぎするのは、そもそも難民の受け入れ・保護に取り組む意思がないものとみなされても、おかしくはありません。




6.入管による読売等をつかった世論誘導のねらい

  以上のように、読売は難民保護という大義名分をかかげていますけれど、これを真剣に考えているとはとても言えません。読売は、たんに難民申請者の就労制限や「認定審査の効率化」の口実として、自分たち自身で真剣に考えたこともないし考えるつもりもないであろう「難民保護」というお題目を都合よく持ち出しているにすぎません。これほど、難民をばかにした話もありません。

  同様に、入管当局が読売等の報道機関をつかった世論誘導をつうじてめざしている制度変更のねらいが、難民の保護・救済にあるのではないことも、こんにちまでの難民政策の「実績」からみてあきらかなのです。とすると、そのねらいは、難民認定審査の「効率化」そのものにあると考えるよりほかなく、つまりそれは、強制送還の「効率化」ということにほかなりません。

  国際法上も入管法上も難民申請者を強制送還することはできないのであって、入管にとって難民認定制度が送還の障壁となる局面が多く存在しているのは事実でしょう。入管からすれば、本来は日本に在留できないはずの外国人のうち少なくない人が難民申請等をしているために、思うように退去強制手続きに入れない、あるいは送還を執行できないという現状があって、その障壁を取りのぞく制度変更をおこないたいという意向があるのでしょう。読売の報道は、こういった意向を忠実になぞったものといえます。

  しかし、入管の直面しているこうした現状について、「認定審査の効率化」によって「偽装申請」を排除すればよいと考えるのは、一面的にすぎます。

  まず、審査を「効率化」する方向での難民認定制度の改定では、たとえこれによって「偽装申請」をある程度は排除できるのだとしても、すでに述べたとおり、難民に該当するはずの申請者をとりこぼす危険性も増大させます。

  そもそも、難民の保護をかかげ、難民認定制度をとる以上、これによって国の送還業務が一定の制約を受けることになるのは当然です。出入国管理上の関心のみにもとづいて送還がおこなわれるようでは、難民は保護されないのですから。難民保護の要請には、本質的に国家の送還業務と矛盾し、これを制約する面が存在するのだということを認識しなければなりません。

  難民の保護は、人権・人道上の観点から必要・重要なのはもちろん、国際的な約束にもとづいて国に課せられた義務でもあります。国家主権としての出入国管理行政がこれによって一定の制約を受けるのは、当然なのです。入管にとって思うように送還業務がすすめられないという現状を、難民審査の「効率化」によって打開しようとするのは、難民の保護という要請をますますないがしろにすることにほかなりません。

  そして、そもそもそのような現状がどうして生じているのかという背景をよくみる必要があります。つまり、送還業務が、入管側からみれば、いわば機能不全をきたしているという現状がなぜ生じているのか、ということです。

  これは、読売が言うところの「偽装難民」やこれを手引きする外国人に一方的に責任を転嫁すればたりるというほど単純な問題ではありません。むしろ、入管が直面している問題は、国の場当たり的な政策のツケと言うべきものです。

  日本政府は、1980年代のバブル期以来、国内産業の労働力不足をおぎなうために、脱法的な手法での外国人労働力導入策をくりかえしてきました。技能実習制度もその一例です。政府は、公式には受け入れを認めていない、いわゆる非熟練労働に従事する外国人労働者を、非公式的なかたちで導入してきたのです。このことが、次回以降くわしくみていくように、入管の送還業務に混乱と矛盾をもたらしています。

  読売の一連の報道は、この政策的な問題を掘り下げるかわりに、難民申請者の一部を「偽装難民」ときめつけ、これに一方的な責任転嫁をおこなうものになっています。こうした読売の論調は、必然的に人種差別をともなうものに行き着きます。本来は日本政府が責任を負うべき問題であり、また日本社会全体の構造的な問題でもあるはずのことがらについて、その責任を“不届きな”(と、入管および読売が世論に印象づけようとする)一部の外国人になすりつけようとするわけですから、かれらを悪魔化して描くためのレトリック・演出が必要になるのです。事実、読売の一連の記事には、実態はたんなる出稼ぎ労働者にすぎない者たちを、あたかも秩序から逸脱した、あるいは秩序を破壊する悪者であるかのように印象づけようとする、人種差別的な記述とレトリックが随所にみられます。

  こうした点を、次回、読売記事の技能実習制度と「偽装難民」をめぐる記述にみていきます。



《注》

「不法入国」について言えば、迫害のおそれがあって、あるいは実際に迫害を受けていて、出身国でパスポートの発給を受けられないような人は、正規の手段で外国に入国しようがないのです。



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